戸沢盛安とはどんな人物?何をした人なのかエピソードや「夜叉九郎」とも恐れられた慈悲深い性格・人柄を解説!

戸沢盛安は若干13歳で家督を継ぎ、勇猛果敢な戦いぶりで「鬼九郎」「夜叉九郎」と畏れられた戦国の武将です。。豊臣秀吉とも関わりを持ち、少なからぬ影響を与えました。

しかし、戸沢盛安の人柄は戦ぶりだけではなく、領民への深い慈悲心にも注目が集まっています。

この記事では、戸沢盛安の輝かしい功績と、戦国時代という激動の中で彼がどのようにして自己の理念を貫いたのかを掘り下げていきます。

戦国の世を駆け抜けた一人の武将の足跡を、ぜひ辿っていきましょう。

目次

戸沢盛安の出身地や生まれ年は?

戸沢盛安は、戦国時代に出羽の地を舞台に活躍した武将です。彼の生まれは1566年、角館城にて戸沢道盛の次男としてこの世に誕生しました。

盛安の人柄は、勇猛で知られつつも、部下思いの慈悲深い一面を持ち合わせていたというエピソードが数多く伝えられています。その行動は、周囲からの尊敬を集め、多くの人々に愛された証しです。

また、彼は鷹狩りを好む織田信長に鷹を贈るなど、中央の大名とも巧みに関係を築いていました。

後世の評価も高く、盛安の生き様は今も多くの人々に語り継がれています。彼の歴史における足跡は、勇気と慈悲の大切さを教えてくれるでしょう。

戸沢盛安の人生とは?やったことや人となり

戸沢盛安は、1566年2月、出羽国の角館城に戸沢道盛の次男として生まれました。幼名を路四郎といい、戸沢家は当時、出羽の地で重要な勢力を持っていました。

盛安が生まれた時代は、戦国時代の真っただ中。地方の大名たちは、自らの領地を守り、拡大するために日々奮闘していました。

戸沢盛安の家督相続と東北での戦い

幼少期の盛安は、父・道盛から武芸や学問を学び、若くしてからは家臣団の統率にも関わるようになります。

1578年、わずか13歳の時、病弱だった兄・盛重に代わって家督を継ぎ、角館城主となりました。盛安が家督を継いだ時、戸沢家は既に安定した経営基盤を持っており、彼はこの強固な基盤の上に立って、さらなる飛躍を目指します。

家督を継いだ直後、盛安は南部氏からの独立を目指し、勢力の拡大に励みました。1582年、彼は大曲平野に進出し、小野寺氏と対立を深めますが、最上氏と手を組み、その脅威を小野寺氏に与えることに成功しました。

その同年、盛安は楢岡城主・小笠原右衛門と共に、安東愛季を1,000の兵で迎え撃ち、三日間の激戦の末に勝利を収めます。

この戦いでの盛安の行動は、後に多くの人々に語り継がれることになります。特に、負傷した敵兵を手厚く治療し、家に帰すという慈悲の心は、戦国時代の武将の中でも特筆すべき行動でした。

天正14年(1586年)、盛安はさらに北浦郡を平定し、小野寺氏を破り、上浦郡への進出を果たします。その際の阿気野の合戦では、沼館城主・大築地秀道配下の敵将を討ち取るなど、その武勇も高く評価されました。

唐松野合戦

最も印象的なのは、1587年に安東愛季との間で起きた、唐松野合戦です。

天正15年(1587年)春、安東愛季は檜山城と湊城を拠点に横手城主・小野寺義道と角館城主・戸沢盛安の不和を利用しようと計画しましたが、盛安は愛季と手を組むことなく、逆に安東軍に対抗しました。

4月2日、愛季は約3000人の軍勢を唐松岳の麓に集結させ、戸沢氏の支城を狙いました。戸沢盛安はこれを知り、3800人の軍を率いて出撃。4月6日、盛安の精兵が安東陣に不意打ちをかけ、激しい戦いが始まりました。

戦いは3日間続き、安東軍は300余人、戸沢軍は170余人の犠牲を出しましたが、結果的には安東軍の敗退に終わりました。この勝利により、戸沢氏は仙北郡北部の諸豪族のほとんどを服従させることに成功しました。

同年9月にも再び戦いがありましたが、愛季が病死したことで、安東軍は戸沢領への侵攻を断念しました。この合戦は、戸沢盛安の軍事的才能と、戸沢氏の勢力を確固たるものにした重要な戦いでした。

豊臣秀吉の小田原参陣と勇猛な逸話

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が始まります。盛安はこの征伐に参加するため、商人に変装し、侍6人と足軽3人の小さな隊を率いて参陣しました。

盛安が参陣する途中、資金が尽きた際には、酒田の豪商から金を借りるという逸話も残っており、彼の行動力と困難に立ち向かう姿勢が伺えます。

また、東海道をたどり西へ進んだ戸沢盛安が金谷宿に着いた時、豊臣秀吉はすでに島田にいて、すれ違いになったと伝えられています。

ところが、戻ろうとしても大井川が大雨で増水しており、戻ることができませんでした。それでも、「どんなに困難でも遅れるわけにはいかない」と提灯を高く掲げ、勇敢にも川を泳いで渡ったと言われています。

ずぶ濡れの状態で秀吉に会った盛安に、秀吉はその忠誠心を称え、備前兼光の名刀を授けたそうです。その勇猛さと慈悲心は、秀吉からも高く評価され、戸沢家は4万4,000石を安堵される栄誉に浴しました。

戸沢盛安の最期|何歳で死んだ?

戸沢盛安は、豊臣秀吉との謁見後、小田原落城を見ることなく1590年に死去しました。具体的な死因については明確な記録が残されていないため、詳細は不明です。享年は25歳でした。

彼の急逝は、戸沢家にとって大きな損失であり、戸沢家は彼の死後、弟の光盛が家督を継ぐことになりました。

戸沢盛安の生涯を振り返ると、彼が持っていた勇気と決断力、そして困難に屈せず前進し続ける強い心に感銘を受ける。わずか25年の短い生涯でしたが、その間に築き上げた業績は、今日に至るまで多くの人々に語り継がれています。

彼の人生は、戦国時代という激動の中で、いかにして一族を守り、領土を拡大し、名声を高めていくかを示した、まさに戦国武将の鑑であったと言えるでしょう。

盛安の最期は、彼の生きざまと同様に、勇敢でありながらもどこか哀愁を帯びている。しかし、その生涯を通じて彼が残した足跡は、後世に大きな影響を与え続けています。

戸沢盛安の物語からは、何事にも果敢に挑む姿勢と、困難に負けない強い心を学ぶことができるでしょう。

戸沢盛安の逸話・エピソードまとめ

戸沢盛安にまつわるエピソードは、彼の勇猛さと慈悲心、そして果敢な行動力を物語っています。以下にそのエピソードをいくつか紹介し、それぞれの背景や意義について考察します。

これらのエピソードを通じて、戸沢盛安はただの武将ではなく、慈悲心を持ち、困難に果敢に立ち向かう強い意志と忠誠心を持った人物であったことが分かります。

彼の生涯は、戦国時代の激動の中で、いかに人間性を保ち、信念を貫くかの模範を示していると言えるでしょう。

安東愛季との戦いでの慈悲心

天正10年(1582年)頃、盛安は安東愛季との戦いで、敵兵を捕虜にした際、彼らを傷つけずに釈放したというエピソードがあります。

この行動は、戦国時代という厳しい時代背景の中での慈悲心の表れとして知られています。戦での勝利だけでなく、敵に対しても慈悲をもって接することで、盛安の人としての器の大きさを示しています。

このエピソードは、彼の人柄や治世の姿勢を理解する上で非常に重要なものです。戦国武将としての勇猛さと共に、慈悲の心も持ち合わせていた盛安の姿勢は、後の世に大きな影響を与えました。

「鬼九郎」「夜叉九郎」

「鬼九郎」「夜叉九郎」という名前は、彼が戦場で見せた圧倒的な強さと、敵を恐怖させるほどの猛々しい行動から来ています。

特に、単騎で敵陣に突入し、敵将を討ち取るなどの逸話は、まさに伝説的な武勇の表れであり、これらの行為が彼に恐れられる存在としての名声をもたらしました。

また、彼の慈悲深い一面として、戦いで捕らえた敵兵を傷つけることなく釈放するなどの行動も伝えられていますが、それでも彼の戦いの凄まじさは「鬼」「夜叉」といった異名にふさわしいものでした。

戸沢盛安と関わりのある場所まとめ

戸沢盛安と関わりのある場所を紹介します。

角館城

角館城は、戸沢盛安が若くして城主となった場所です。この城は出羽国(現在の秋田県仙北市)に位置し、戸沢氏の本拠地として知られています。

盛安はここで数々の政治や軍事の才能を発揮し、領土拡大と家臣団の統制を図りました。

今日、角館は「みちのくの小京都」と称され、その美しい武家屋敷や桜の名所として親しまれています。

大曲平野

大曲平野は、戸沢盛安が勢力拡大のために進出した地域で、現在の秋田県大仙市にあたります。

この地で盛安は小野寺氏との争いを展開し、最上氏と連携して小野寺氏に圧力をかけました。この地域での活躍は、盛安の軍事的才能と戦略的思考を示す重要なエピソードとなっています。

淀川城

淀川城は、戸沢盛安が唐松野合戦で勝利した後に奪取した城です。この城は仙北地方に位置し、安東愛季との争いで重要な役割を果たしました。

盛安のこの勝利は、戸沢氏の勢力を確固たるものにし、盛安の名声を高めることに寄与しました。

小田原

小田原は、戸沢盛安が豊臣秀吉の小田原征伐に参加するために向かった地です。盛安はここで秀吉に忠誠を示し、その後、戸沢氏の所領安堵を受けることになります。

しかし、この地で盛安は病に倒れ、若くしてこの世を去りました。小田原は、盛安の人生における最後の地として記憶されています。

酒田

酒田は、盛安が小田原征伐の途中で立ち寄り、資金が尽きた際に金を借りた場所です。この地は現在の山形県酒田市にあたり、当時は羽前国の重要な港町でした。

ここでのエピソードは、盛安の困難に立ち向かう決意と、目的を達成するための行動力を示しています。戸沢盛安とはどんな人物?何をした人なのかエピソードや性格・人柄を解説!

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