三方ヶ原の戦いとは?起きた原因や戦いの経緯・誰が戦ったのかを解説!

戦国時代の有名な熱き戦いの一つ、「三方ヶ原の戦い」。1573年、静岡県浜松市の三方ヶ原で繰り広げられたこの戦いは、甲斐の武田信玄と、織田信長・徳川家康の連合軍との間で起こりました。

武田信玄の上洛の夢と徳川家康の意地がぶつかり合う場となったこの戦いは、多くの武将の運命を左右する重要な転換点となりました。

戦いの詳細からその影響に至るまで、歴史の一ページを紐解きながら、三方ヶ原の戦いの全貌に迫ります。

目次

三方ヶ原の戦いとは?戦いの場所と起きた経緯

三方ヶ原の戦いは、1573年に静岡県浜松市中央区の三方ヶ原で起きた戦いです。この合戦は、徳川家康と武田信玄の間で繰り広げられました。

1572年末、武田信玄は上洛を目指して動き出します。その一環として、遠江国に侵攻を始めました。これが実質的な前哨戦となります。

徳川家康はこの地を治めており、彼の領地を武田軍が通過することは、家康にとって大きな脅威でした。家康は織田信長と手を組み、この侵攻に対抗しようとしました。

この戦いへの道のりは、武田信玄による一連の攻勢で準備されました。彼は三河国や遠江国にある徳川家の城を攻め落とし、家康の力を削ぎました。これらの動きは、三方ヶ原の戦いへと繋がることになります。

三方ヶ原の戦いではどう戦った?激突の流れ

三方ヶ原の戦いは、武田信玄が上洛を目指して遠江国に侵攻することで始まりました。武田軍は30,000の大軍で、徳川家康の本拠地である浜松城へと進軍していきます。家康の軍勢は最大でも15,000程度と数で劣っており、状況は非常に厳しいものでした。

浜松城への侵攻を知った徳川家康は、城の防衛を固める一方で、織田信長からの援軍を待ちました。

しかし、武田信玄は浜松城を攻める代わりに、意外な動きを見せます。信玄は浜松城を素通りし、そのまま西へと進軍を続けたのです。これにより、徳川家康は戦略を変更せざるを得なくなりました。

家康は、武田軍の背後をついて攻撃することを決意。追撃のため、自ら兵を率いて出陣します。両軍は三方ヶ原で激突しました。戦いは、徳川軍が鶴翼の陣を敷き、武田軍は魚鱗の陣で応戦する形となりました。

戦いは、武田信玄の巧妙な戦術により、武田軍の圧勝で終わります。徳川家康は多くの家臣を失い、辛うじて浜松城へと逃げ帰ることができましたが、この敗北は家康にとって大きな痛手となりました。

武田信玄はこの勝利により一時的には勢力を拡大しましたが、翌年には病没。この戦いが彼の生涯で最後の大勝利となりました。

三方ヶ原の戦いは、歴史に名を残す戦いとして今も語り継がれています。

三方ヶ原の戦いは後世でどのように評価されている?

三方ヶ原の戦いの後、武田信玄は病に倒れ、1573年に亡くなりました。この戦いでの圧勝にも関わらず、信玄の死によって武田家は大きな打撃を受けました。

徳川家康はこの敗北から立ち直り、その後の戦いでの反省点を生かし、より強固な統治基盤を築き上げていきます。この敗戦が、徳川家康にとって貴重な経験となり、後の天下統一への道を歩むための重要な転機となったのです。

また、この戦いは、織田信長にとっても重要な意味を持ちました。家康が武田軍との戦いで苦戦している間も、信長は他の戦線で勢力を拡大し続け、天下統一への野望を着実に進めていきました。

三方ヶ原の戦いは、戦国時代の歴史を紐解く上で欠かせない出来事として、今も多くの人々に語り継がれています。

三方ヶ原の戦いが起きた場所や関連する場所へのアクセス方法

これらの場所を訪れることで、三方ヶ原の戦いにまつわる歴史の深さを肌で感じることができるでしょう。歴史の教科書で学ぶだけでは味わえない、貴重な体験がここにはあります。

三方ヶ原古戦場碑

静岡県浜松市中央区三方原町に位置する三方ヶ原古戦場碑へは、JR浜松駅からバスでアクセス可能です。歴史を感じながらその場所を訪れると、当時の戦いの緊迫感を想像することができます。

犀ヶ崖(さいががけ)

犀ヶ崖は、静岡県浜松市中区にあり、浜松城から車で約15分の場所に位置します。ここは、徳川軍が武田軍に夜襲をかけた場所として知られており、訪れると戦国時代の歴史の一端を感じることができます。

浜松城

浜松城は、静岡県浜松市中区にあり、JR浜松駅から徒歩約15分です。三方ヶ原の戦いで徳川家康が退却した後、籠城した城として有名です。城址公園として整備され、歴史を学ぶには絶好の場所です。

二俣城址

二俣城址へは、JR二俣駅から徒歩で訪れることができます。この城は三方ヶ原の戦いの前哨戦において、武田軍によって攻略された場所です。武田軍の進軍ルートをたどる上で重要なスポットとなっています。

一言坂(ひとことざか)

一言坂は、静岡県磐田市に位置し、静岡県浜松市から車で約30分の場所にあります。三方ヶ原の戦いにおいて、徳川家康が武田軍の偵察を行ったとされる場所で、歴史の足跡をたどるには見逃せない場所です。

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