大阪城はどこにある?エピソードや歴代城主・観光できるかを紹介!

大阪城は、日本の歴史上で最も有名な城郭の一つであり、その存在は日本の歴史を語る上で欠かせないものです。

築城されたのは戦国時代の豊臣秀吉で、その後、数多くの歴史的な出来事がここで起こりました。

現在は、美しい公園として整備され、年間を通じて多くの観光客や歴史愛好家を引き寄せています。

この記事では、大阪城の豊かな歴史、見どころ、そしてその周辺にある名所について紹介していきます。大阪城の魅力を深く掘り下げていきましょう。

目次

大阪城はどんな城?建てたのはだれ?

所在地大阪府大阪市中央区大阪城1-1
アクセスOsaka Metro谷町線:谷町四丁目駅(1-B出口)、天満橋駅(3番出口)
Osaka Metro中央線:谷町四丁目駅(9番出口)、森ノ宮駅(1、3-B出口)
Osaka Metro長堀鶴見緑地線:大阪ビジネスパーク駅(1番出口)、森ノ宮駅(3-B出口)
JR大阪環状線:大阪城公園駅、森ノ宮駅
JR東西線:大阪城北詰駅
京阪電車:天満橋駅、京橋駅
大阪シティバス:大阪城大手前、馬場町
大阪水上バス:大阪城港、八軒家浜船着場
電話番号06-6941-3044
営業時間9:00~17:00(最終入館は16:30、季節により開館時間延長あり)
休業日年末年始(12/28~1/1)
築城した人豊臣秀吉
築城した年1583年
主な歴代城主豊臣秀吉
徳川家康
徳川将軍家
天守閣の有無
観覧料大人600円/中学生以下、大阪市内在住65歳以上の方(要身分証明書)、障害者手帳等お持ちの方は無料

大阪城は、日本の歴史に名を刻む壮大な城郭です。この城は、日本の戦国時代を象徴する豊臣秀吉によって築かれました。当時、秀吉は天下統一の象徴として、大阪の地にこの雄大な城を建設しました。大阪城はその後、時代の流れにより幾度となく手が加えられ、現在に至るまでに大きく姿を変えてきました。

訪れる人々が利用できるアクセス方法は、公共交通機関を使った便利なものが数多くあります。大阪の中心部に位置するため、地下鉄、JR、バスなど、さまざまな手段で容易に訪れることが可能です。最寄りの駅からは歩いてもすぐに大阪城公園に着き、その中心にそびえ立つ天守閣に向かえます。

大阪城の天守閣は、その存在感で多くの人々を魅了し続けています。天守閣は再建されたものの、その美しさは訪れる人々の心を捉え、日本の歴史や文化に触れることができる貴重な場所となっています。天守閣からの眺めは、大阪の街を一望できる素晴らしいもので、訪れた人々にとって忘れがたい経験となります。

観覧料についても、大人と子どもで異なりますが、非常にリーズナブルで、誰もが気軽に大阪城の魅力を堪能できるようになっています。また、大阪城は年中無休で開放されており、季節ごとに異なる自然の美しさを楽しめます。特に桜の季節には、城を背景にした花見が楽しめることから、多くの人々で賑わいます。

現在の大阪城は、その歴史的価値だけでなく、美しい自然との調和や、訪れる人々にとってのアクセスの良さから、高い評判を得ています。この城は、歴史を学ぶ場としてだけでなく、家族や友人との素敵な思い出を作る場所としても、多くの人々に愛されています。大阪城は、これからも多くの人々にとって、魅力あふれる歴史の宝庫であり続けるでしょう。

大阪城の歴史とは?どんな出来事があった?

大阪城は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきた城です。その歴史は、戦国時代の動乱から現代に至るまで、数多くの出来事に彩られています。

ここでは、大阪城の歴史を形作る主要な出来事を紹介し、それぞれについて解説していきます。

1583年 豊臣秀吉による大坂城の築城開始

豊臣秀吉は、天下統一を目指し、大坂の地に城の築城を始めました。この城は、秀吉の権力と富を象徴するものであり、当時としては前例のない規模と豪華さを誇っていました。

築城には全国から集められた職人や大名が動員され、数年にわたる大プロジェクトとなりました。

1614年 – 1615年 大坂の陣

豊臣秀吉の死後、その遺児・豊臣秀頼を中心にした豊臣家と、徳川家康が率いる幕府との間で起きた戦いが大坂の陣です。この戦いは、冬の陣と夏の陣の二度にわたり行われました。

特に夏の陣では、大坂城は幕府軍によって徹底的に攻撃され、最終的に豊臣家は滅亡しました。この戦いにより、徳川幕府の全国統一が確固たるものとなりました。

1620年 徳川幕府による大坂城の再建

大坂の陣で大きな損害を受けた大坂城は、徳川幕府によって再建されます。この時の再建では、城の規模がさらに拡大し、堅固な防御施設が加えられました。

徳川時代の大坂城は、政治や経済の中心地として、また西国大名の監視拠点として重要な役割を果たしました。

1931年 大阪城天守閣の復元

大坂城天守閣は、歴史の中で何度も焼失し、最終的には存在しなくなっていました。しかし、1931年に大阪市の市民や企業の寄付により、天守閣が復元されました。

この復元された天守閣は、大阪のシンボルとして、また観光名所として多くの人々に親しまれています。

大阪城のエピソード・逸話

大阪城にまつわるエピソードや逸話は、日本の歴史の中でも特に色濃いものが多いです。以下では、その中から特に興味深い話をいくつか選び、それぞれについて詳しく解説していきます。

豊臣秀吉の茶会

豊臣秀吉は、1587年(天正15年)に大阪城で開催した茶会で、当時としては前代未聞の大規模なものでした。この茶会には、千利休をはじめとする当時の茶人が多数招かれ、全国から集められた茶器が用いられました。

このエピソードは、秀吉の権力の象徴であると同時に、茶の湯が社交の場としても利用されていたことを示しています。また、秀吉が文化人としての側面も持ち合わせていたことが伺えます。

真田幸村の「真田丸」

1614年(慶長19年)の大坂冬の陣で、真田幸村は大坂城の外堀の一角に「真田丸」と呼ばれる出城を築きました。

この小さな要塞は、徳川軍に対して大きな損害を与えることに成功し、幸村の知略と勇猛さを象徴するエピソードとして語り継がれています。

豊臣秀頼の最期と大坂城の落城

1615年の大坂夏の陣で、大坂城は徳川軍によって包囲され、最終的に落城しました。城内で戦う豊臣秀頼と母・淀殿は、最終的に自害を選びます。

この悲劇的な出来事は、豊臣家の滅亡とともに、戦国時代の終焉を象徴しています。秀頼の最期は、多くの文学作品や歌舞伎、映画で取り上げられており、日本人に広く知られています。

大坂城の黄金の茶室

豊臣秀吉は、大坂城内に黄金の茶室を設けました。この茶室は、壁や天井に金箔を貼り付け、豪華絢爛な装飾が施されていました。

秀吉の権力と富を象徴するこの茶室は、当時の日本だけでなく、海外からの使節にも披露され、世界にその名を知らしめました。

このエピソードは、秀吉がいかに文化や芸術を愛し、それを政治的な影響力を拡大するために利用したかを示しています。

徳川家康の大坂城入城

1615年(慶長20年)の大坂夏の陣の後、徳川家康は大坂城に入城しました。これは、豊臣家を滅ぼし、全国統一を果たした象徴的な出来事とされています。

家康の大坂城入城は、徳川幕府の権威を全国に示すものであり、以後260年以上にわたる江戸時代の幕開けを告げるものでした。

家康が大坂城で行った政策は、その後の幕府政治の基礎を築くことにも繋がりました。

大坂城の再建

1931年(昭和6年)、現在の大坂城天守閣が再建されました。これは、大阪市民の寄付によって賄われたプロジェクトで、大阪の復興と発展のシンボルとして位置付けられています。

再建された天守閣は、過去の歴史を今に伝えるとともに、多くの観光客を魅了する大阪のランドマークとなっています。

この天守閣からの眺望は、大阪の街並みを一望できる素晴らしいもので、訪れる人々に大阪の魅力を伝えています。

大阪城の観光の見どころは?名所はどこ?

大阪城を観光する際には、見逃せない見どころや名所が数多くあります。この歴史ある城とその周辺には、訪れる人々を魅了するスポットが豊富に存在しています。以下に、大阪城とその近辺のおすすめスポットを紹介します。

大阪城天守閣

大阪城のシンボルである天守閣は、その壮大な姿で多くの観光客を迎えます。内部には歴史博物館があり、豊臣秀吉や大坂の陣に関する貴重な展示物が数多く展示されています。特に、最上階からの眺望は圧巻で、大阪の街並みを一望できます。

大阪城公園

広大な敷地を誇る大阪城公園は、四季折々の自然美が楽しめる場所です。春には約3,000本の桜が咲き誇り、圧倒的な美しさを見せつけてくれます。散策やピクニックに最適で、地元の人々にも親しまれています。

豊国神社

大阪城公園内にある豊国神社は、豊臣秀吉を祭神とする神社です。秀吉とその家族への祈りを捧げるために多くの人が訪れます。秀吉への敬愛が感じられる、静かで荘厳な空間が広がっています。

大阪歴史博物館

大阪城の近くに位置する大阪歴史博物館では、大阪の歴史を深く学ぶことができます。古代から現代に至るまでの大阪の変遷を、豊富な資料と共に紹介しています。見応えのある展示は、歴史好きにはたまらない内容です。

大阪城ホール

コンサートやイベントで知られる大阪城ホールも、大阪城公園の近くにあります。国内外の有名アーティストの公演が多数開催されており、音楽好きなら一度は訪れたいスポットです。

大阪城水上バス

大阪城公園の周辺を巡る水上バスは、大阪城を異なる角度から楽しむことができるユニークな体験です。水面から見上げる大阪城の姿は、また違った魅力があります。

大阪城にある重要文化財とは?

重要文化財

大阪城 13棟

  • 大手門 – 寛永5年(1628年)創建、嘉永元年(1848年)修復[26]
  • 塀 3棟(大手門南方、大手門北方、多聞櫓北方)
  • 多聞櫓(渡櫓、続櫓) – 嘉永元年(1848年)
  • 千貫櫓 – 元和6年(1620年)
  • 乾櫓 – 元和6年(1620年)
  • 一番櫓 – 寛永5年(1628年)
  • 六番櫓 – 寛永5年(1628年)
  • 焔硝蔵 – 貞享2年(1685年)
  • 金蔵 – 江戸時代(寛永2年(1625年)創建)
  • 金明水井戸屋形 – 寛永3年(1626年)
  • 桜門 – 明治20年(1887年)

登録有形文化財

  • 「大阪城天守閣」(天守)- 昭和6年(1931年)

特別史跡

  • 大坂城跡(1955年6月24日指定)

多聞櫓(たもんやぐら)

江戸時代初期に建てられた多聞櫓は、大阪城の防衛に重要な役割を果たしていた建造物です。四隅に配置された櫓の一つで、特に城の北西角を守るために設けられました。

その堅固な造りと、かつての武士たちが見守るような厳かな雰囲気が今に伝わっています。

千貫櫓(せんがんやぐら)

千貫櫓もまた、江戸時代の初期に建築された重要な櫓です。この櫓は、城の南東部に位置し、城壁の一角を形成しています。

名前の由来は、かつてこの櫓の建設に千貫(約3.75トン)の銀が費やされたという伝説から来ています。歴史の重みを感じさせる建造物であり、訪れる人々にその昔の様子を伝えています。

櫓(やぐら)群

大阪城には、多聞櫓や千貫櫓を含む、いくつかの櫓が現存しており、それらは全て重要文化財に指定されています。

これらの櫓は、かつての大坂城の防御機能を支えていた重要な部分です。各櫓は、石垣の上に建てられ、その堅牢な構造で城を守っていました。

大手門

大手門は、大阪城に入る主要な門の一つです。江戸時代に再建されたこの門は、見事な造りと歴史的意義を持ち、多くの訪問者を迎え入れています。

かつてこの門をくぐることは、大阪城の中心部へと続く重要な通路であったことを物語っています。

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