姫路城はどこにある?エピソードや歴代城主・観光できるかを紹介!

姫路城は、兵庫県姫路市にある日本を代表する城郭のひとつです。その美しい白い外壁から「白鷺城」とも称され、多くの人々を魅了し続けています。

この城は、その長い歴史を通じて多くの武将によって築かれ、改築されてきました。1993年にはその価値が世界に認められ、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

姫路城の魅力は、ただその美しさにあるのではなく、歴史の舞台としての偉大さにもあります。

この記事では、姫路城の歴史や見どころ、そして魅力を紹介していきます。ぜひ、最後までご覧ください。

目次

姫路城はどんな城?建てたのはだれ?

所在地兵庫県姫路市本町68
アクセスJR姫新線・山陽新幹線「姫路駅」より徒歩5分
山陽自動車道「山陽姫路東」ICより車で15分
播但道「花田」ICより車で15分
電話番号情報なし
営業時間9:00〜17:00(16:00閉門)
休業日12月29日、30日
築城した人赤松貞範
築城した年1333年
主な歴代城主赤松氏、山名氏、黒田氏、池田氏など
天守閣の有無有(国宝・世界遺産)
観覧料大人1,000円
高校生以下300円

姫路城は、兵庫県姫路市にある日本の城です。この城は、白く美しい外壁が特徴で、白鷺城(しらさぎじょう)とも呼ばれます。その美しさから、世界中の人々に愛されています。

築城したのは赤松貞範とされ、1333年に始まった長い歴史を持ちます。城は、その後も幾度となく手を加えられ、現在見ることができる壮大な姿になりました。

姫路城の構造は非常に巧みで、多くの櫓(やぐら)、門、そして広大な敷地が特徴です。主に白い漆喰で覆われた壁は、遠くからでも目を引く美しさがあります。

城内には、迷路のような複雑な道があり、敵が攻め入ってきた際に迷わせる工夫がなされています。また、天守閣は日本の城郭建築の傑作として、国宝にも指定されており、世界遺産にも登録されています。

アクセス方法としては、JR姫新線や山陽新幹線を使い、姫路駅で下車後、徒歩で約5分です。車を利用する場合は、山陽自動車道の山陽姫路東ICから約15分、播但道の花田ICからも同じくらいの時間で到着します。

姫路城の評判は、国内外問わず高く、訪れた多くの人々からの称賛の声が寄せられています。修復工事を経て、さらに美しくなった姿は、訪れる人々に強い感動を与えています。特に、桜の季節には、城と桜のコラボレーションが見事で、多くの観光客で賑わいます。

このように、姫路城はその美しさ、歴史の深さ、そして訪れやすい立地から、多くの人々に愛され続けています。一度は訪れてみたい、世界に誇る文化遺産のひとつです。

姫路城の歴史とは?どんな出来事があった?

姫路城は、その美しさと歴史の深さで多くの人々を魅了し続けています。この城には、数多くの歴史的出来事が刻まれており、それぞれのエピソードには、時代や人々の思いが詰まっています。

これらの出来事は、姫路城がただの建築物ではなく、歴史の舞台であったことを物語っています。それぞれの城主が城に対して行った改築や強化は、その時代の政治的、社会的状況を反映しており、城の歴史は日本の歴史そのものと言っても過言ではありません。

今日、姫路城はその美しさで知られ、世界遺産としても登録されています。しかし、その美しさの背後には、多くの歴史的出来事や人々の努力があります。これからも多くの人々に愛され、大切にされていくことでしょう。

1333年:赤松則村が姫山に砦を築く。

姫路城の歴史は、1333年に遡ります。この年、赤松則村が姫山に砦を築いたのが始まりです。則村は後醍醐天皇の命を受け、鎌倉幕府に対する挙兵を計画しました。その過程で、戦略的要地として姫山を選び、ここに砦を構えることになります。

この砦は、後に発展して姫路城へと変わっていきました。赤松則村の行動は、日本の歴史における重要な転換点の一つとされ、今日に至るまで多くの人々に語り継がれています。

姫路城は、その後何世紀にもわたって拡張や改築が行われ、現在では世界遺産としての地位を確立しています。このように、姫路城の起源は、一人の武将の決断から始まったのです。

1467年:応仁の乱で赤松政則が姫路城を陥落させ、本丸と鶴見丸を築く

応仁の乱は、日本の歴史上で最も有名な内乱の一つであり、この混乱の時代に姫路城が大きな転機を迎えました。

1467年、この戦乱の中で赤松政則が力を示し、姫路城を手中に収めることに成功します。

その後、政則は城をさらに強固なものにするため、本丸と鶴見丸の築城に着手しました。これらの新たな構造物の建設は、姫路城の防御力を高めると共に、城の規模を拡大する結果となりました。

この時期に施された改修や拡張は、城の歴史において重要な出来事となり、今日に至るまでその影響が色濃く残っています。

赤松政則による姫路城の陥落とその後の築城は、城の歴史の中でも特に注目すべき出来事であることは間違いありません。

1580年:黒田孝高が城を羽柴秀吉に献上し、3層の天守閣を築く

1580年、黒田官兵衛孝高は、当時中国地方の統一を進めていた羽柴秀吉に姫路城を献上しました。

秀吉はこの城を受け取り、その後すぐに3層の天守閣の建設に取り掛かります。これは秀吉が全国統一への野望を抱いていたことの現れであり、姫路城はその野望を実現するための重要な拠点となりました。

天守閣の建設により、姫路城は見た目にも実際の防御力においても、大きく強化されました。この天守閣の建設は、後の豊臣秀吉による日本統一の歴史の中でも、重要な役割を果たしているのです。

1601年:池田輝政が城の大改築を開始し、1609年に5重7階の連立式天守を完成

1601年、池田輝政により城の大改築が行われました。この改築工事により、5重7階の連立式天守閣をもたらしたのです。

池田輝政は関ヶ原の戦いの後、豊臣秀吉から姫路城を引き継ぎ、その後、城の大規模な改修に乗り出した人物です。この大改築によって、姫路城はその後の時代を通じて「白鷺城」としても知られるようになり、現在に至るまで日本最大の木造建築の一つとしてその美しさを世界に誇っています。

連立式天守は、日本の城郭建築の中でも特に優れた形式を示しており、姫路城の象徴的な存在となっています。池田輝政のこの改築は、姫路城が現在に至るまで保存される基礎を作り上げ、後世にその壮大な姿を伝えることに大きく貢献しました。

1931年:姫路城天守閣が国宝に指定される

1931年は、姫路城にとって歴史的な節目の年となりました。この年、姫路城天守閣は国の文化財保護法に基づき、国宝に指定されたのです。

この栄誉ある指定は、姫路城が日本の城郭建築の中でも特に価値が高いことを認められたことを意味しています。国宝指定を受けることにより、姫路城はその後の保存と保護のための基盤が固まりました。

当時、日本全国から姫路城の美しさと歴史的重要性を讃える声が上がり、今日に至るまで多くの人々に愛され続けています。この指定は、姫路城が国内外において高い評価を受けるきっかけとなり、その後1993年に世界文化遺産に登録される礎を築きました。

国宝に指定されたことで、姫路城はさらにその価値を世界に示すことができ、日本の文化遺産としての地位を不動のものにしました。

1956年:天守閣、国費による大修理が始まる

1956年、姫路城は新たな歴史の節目を迎えました。この年、天守閣の大修理が国費をもって始まりました。この大規模な修理は、姫路城が国宝に指定された後、その保存と保護のために不可欠な作業でした。

当時、姫路城の天守閣は時間の経過と共に多くの部分が老朽化しており、この貴重な文化遺産を次世代に引き継ぐためには、緊急の修復作業が求められていました。

この修理工事は、姫路城の構造を理解し、可能な限り元の状態を保持しつつ、耐久性を向上させることを目指しました。専門家のチームが組まれ、古文書の調査から始まり、石垣の補強、木造部分の修復、漆喰の塗り直しなど、細部にわたる修復作業が行われました。

この大修理は、姫路城の美しさと堅牢さを取り戻し、後世にその姿を伝えるための重要な一歩となりました。修理工事の成功は、姫路城が世界文化遺産としての価値をさらに高めるきっかけとなり、多くの人々にその魅力を再認識させました。

1993年:ユネスコの世界文化遺産に登録される

1993年は、姫路城にとって歴史的な年となりました。この年、姫路城はユネスコの世界文化遺産に登録されたのです。

姫路城が登録された背景には、その美しい建築様式と、築城から現在に至るまでの長い歴史が大きく影響しています。

ユネスコの世界遺産登録は、姫路城を含む日本の文化財を守り、後世に伝えていくための重要なステップでした。この登録により、姫路城は世界中から注目されるようになり、年間を通じて多くの国内外の観光客が訪れる名所となりました。

世界遺産としての登録は、姫路城がただの美しい城ではなく、人類共通の貴重な遺産であることを世界に示したのです。

2009年:大天守保存修理工事が始まる

2009年に始まった姫路城の大天守保存修理工事は、この歴史的建造物の長期保存に向けた重要なプロジェクトでした。この工事は、姫路城がユネスコの世界文化遺産に登録されて以来、その美しさと価値を未来へと継承するためのものです。

工事は、姫路城の構造を保全し、耐震性を高めることに重点を置いて行われました。この大規模な修理は、城の石垣や白漆喰の壁、屋根など、多くの部分にわたりました。

この工事には、多くの専門家や職人が関わり、伝統的な技術を用いて丁寧に作業が進められました。彼らの熟練した技と情熱が、姫路城をさらに魅力的な観光地として蘇らせました。

修理工事のおかげで、姫路城は今後もその壮麗な姿を保ち続けることができるでしょう。この工事は、姫路城だけでなく、世界遺産としての価値を守るための大切な一歩となりました。

2015年:姫路城グランドオープン

2015年は、姫路城にとって新たな時代の幕開けを告げる年となりました。この年、姫路城は大規模な保存修理工事を終え、華々しくグランドオープンを迎えました。修理工事は、姫路城の美しさをより一層際立たせるために、細部にわたり丁寧に行われました。

姫路城が世界文化遺産に登録されて以来、数多くの観光客が訪れる重要な文化財であることから、その保存と維持は非常に重要な課題でした。

グランドオープンの日、姫路城は新たな輝きを放ち、世界中から集まった多くの人々を魅了しました。これは、姫路城がこれまでにないほどの美しさを取り戻し、日本の誇りとしての地位を確固たるものにしたことを意味しています。

この出来事は、姫路城だけでなく、姫路市や関わった全ての人々にとって記念すべき瞬間であり、城の長い歴史の中で新たなページが加えられたのです。

姫路城のグランドオープンは、未来の世代へと受け継がれる貴重な文化遺産の保護と活用の重要性を改めて世界に示しました。

姫路城のエピソード・逸話

最後に、姫路城に関するエピソード・逸話を紹介します。

白鷺城の由来

姫路城は、その美しい白い外観から「白鷺城」とも呼ばれています。この愛称の由来は、城が白鷺が羽を広げたように見えることにあります。

姫路城の壁は、白漆喰で覆われており、遠くから見るとまるで白鷺が佇んでいるかのように映ります。特に、朝日や夕日に照らされた姫路城の姿は、多くの人々を魅了してきました。

この美しい風景は、時を経ても変わることなく、今日に至るまで人々の心を捉え続けています。白漆喰は、火災に強いという実用的な理由から選ばれましたが、それが偶然にも美しい景色を生み出し、城の象徴的な存在となりました。

このように、姫路城はただの防御施設であるだけでなく、その美しさでも知られるようになりました。

お菊井戸と播州皿屋敷伝説

姫路城には、「お菊井戸」と呼ばれる井戸があり、これが「播州皿屋敷伝説」と深く関連しています。

伝説によれば、この井戸はかつて、城内で起こった悲しい物語の舞台となりました。お菊という女性が、不正を働いた家臣によって誣告され、皿を数えながら冤罪を晴らそうとしたといわれています。

彼女は最終的に命を落とし、その霊が井戸の近くで皿を数え続けるという話が今も語り継がれています。

この物語は、姫路城の歴史の中でも特に心に残るエピソードの一つであり、訪れる人々に古の時代への想像力をかき立てます。お菊の悲劇と彼女の純粋な心が、多くの人々に伝えられ、今日に至っても姫路城の敷地内で思い出されています。

「姥が石」と石臼を提供

豊臣秀吉の姫路城増築に際して、多くの人々がその建設に貢献しましたが、中でも「姥が石」という逸話は特に心温まる物語です。

この話によれば、城の石垣を築くために必要な石が不足していた時期がありました。そんな中、一人の貧しい老婆が、自分にできる支援はこれしかないと、自宅の石臼を城の建設に提供しました。

この石臼は「姥が石」と呼ばれ、今も姫路城の一部として残されていると伝えられています。この老婆の無償の善意が、他の市民にも感化を与え、その後、多くの人々が石を寄付するようになり、城の完成に大きく貢献したそうです。

宮本武蔵の妖怪を退治

姫路城にまつわる逸話の中でも、宮本武蔵が妖怪を退治した話は特に有名です。

ある時期、姫路城内では妖怪が現れるという噂が広まりました。この噂を耳にした宮本武蔵は、その真相を探るために夜の城内を調査することにしました。武蔵は、その時期城内に滞在しており、彼の勇敢さと剣の腕前は既に広く知られていました。

ある夜、武蔵が城内を歩いていると、突如として現れた妖怪に遭遇しました。しかし、彼の果敢な挑戦により、妖怪は姿を消したと言われています。

この勇敢な行動により、城内の安全が守られ、武蔵の名声はさらに高まったと伝えられています。このエピソードは、宮本武蔵の勇気と姫路城の歴史の一面を色濃く物語っています。

姫路城の観光の見どころは?名所はどこ?

姫路城は、その美しさと歴史の深さで知られる日本の宝です。兵庫県姫路市にそびえ立つこの城は、「白鷺城」とも呼ばれ、国内外から多くの観光客を引き寄せています。

壮大な天守閣、美しい白漆喰の城壁、そして複雑な迷路のような構造は、見る者を時代を超えた旅へと誘います。ここでは、姫路城の見どころや訪れるべき名所を紹介します。

歴史に触れ、文化を感じる姫路城の魅力を、皆さんもぜひ体験してみてください。さあ、姫路城の魅力的な世界へと一緒に足を踏み入れましょう。

大天守

姫路城の大天守は、国宝に指定されている日本で最も有名な城の一つです。1609年に池田輝政によって完成されたこの壮大な構造物は、見かけ上5階建てに見えますが、実は地下1階を含む7階建てです。

純白の壁が特徴で、「白鷺城」とも呼ばれる美しさを持ちます。天守からの眺めは、姫路市内を一望できる絶景で、訪れた人々を魅了し続けています。日本の城郭建築の傑作として、その歴史的価値は計り知れません。

西の丸庭園

姫路城の西の丸庭園は、その美しい景観で訪れる人々を魅了しています。この庭園は、江戸時代に姫路城の重要な一部として整備されました。

特に春には桜が満開となり、城との調和が絶景を生み出します。また、歴史を感じさせる様々な建築物が庭園内に点在し、訪れる人々に当時の雰囲気を色濃く伝えています。

庭園内では、時に静寂を楽しみながら、四季折々の自然の美しさを満喫できます。姫路城の見どころの一つとして、西の丸庭園は必見のスポットです。

備前丸

姫路城の備前丸は、かつて池田輝政が居住した居館の跡地です。この広大なスペースは、城の主要な部分として機能し、多くの歴史的出来事の舞台となりました。

現在では、明治時代の火災で焼失した後も、訪れる人々に城の雄大さを感じさせる開けた場所として残っています。

備前丸からは、姫路城の大天守を始めとする多くの建築物や、城下町の景色を一望できる絶好のロケーションです。訪れた際には、かつてこの地に立っていた豪華な居館を想像しながら、その歴史の一端に触れることができるでしょう。

三の丸

姫路城の「三の丸」は、城の中心部に近い位置にある重要なエリアです。この場所は、かつて城の日常運営において中心的な役割を果たしていました。

三の丸は、特に城の防衛体制において重要な部分を占め、多くの武将や城の守り手たちがここで生活していたとされています。

また、三の丸内には、美しい庭園や歴史的な建物が残されており、訪れる人々に姫路城の豊かな歴史と文化を伝えています。特に、春には桜が美しく咲き誇り、訪問者を魅了します。

このエリアは、姫路城の歴史を深く知ることができるだけでなく、四季折々の風景を楽しむことができるため、城を訪れた際にはぜひ立ち寄りたい場所の一つです。

好古園(姫路城西御屋敷跡庭園)

好古園は、姫路城西御屋敷跡にある美しい日本庭園です。この庭園は、姫路城の豊かな歴史と自然美を背景に、四季折々の景色を楽しむことができる場所として知られています。

好古園の設計には、日本の伝統的な庭園美学が取り入れられており、水の流れ、石の配置、植物の選択に至るまで、細部にわたる配慮が感じられます。訪れる人々は、姫路城の壮大な姿を背景に、静寂の中で日本の四季の変化を感じ取ることができます。

好古園は、姫路城とともに訪れることで、歴史の深さと自然の美しさの両方を体験することができる、貴重な観光スポットです。

大手門

姫路城への正面入口である大手門は、訪れる人々を迎える重要な門です。この門は、城の防御機能としても重要な役割を果たしており、その堂々たる構造は、かつての戦時下における姫路城の威厳を今に伝えています。

大手門をくぐることで、訪問者はまるで時を超えて、歴史の深みに触れるような感覚を味わうことができます。この門を抜けると、姫路城の広大な敷地とその圧倒的な美しさが目の前に広がります。

大手門は、城の歴史とともに数多くの改修を経ており、そのたびに姫路城を守るための強固な入口としての役割を果たしてきました。姫路城を訪れる際には、この歴史ある大手門を通ることで、その壮大な歴史に思いを馳せることができるでしょう。

櫓(やぐら)群

姫路城の見どころの一つに、数多く存在する櫓(やぐら)群があります。これらの櫓は、城の防御機能を高めるため、また美しい景観を作り出すために重要な役割を果たしています。

特に有名なのは、西の丸五重櫓や長持櫓など、戦国時代の雰囲気を色濃く残す建造物です。これらの櫓は、江戸時代初期に池田輝政によって大規模な改築が行われた際に、その見事な構造が整えられました。

それぞれの櫓は、姫路城の歴史や工夫を凝らした建築技術の見本として、多くの人々を魅了してやみません。姫路城を訪れた際には、これらの櫓をじっくりと眺めることで、かつての武士たちが見守っていた風景を想像することができるでしょう。

白漆喰の城壁

姫路城はその美しい白漆喰の城壁で有名です。これらの城壁は、姫路城が別名「白鷺城」と呼ばれる由縁となっています。

白漆喰は、火縄銃の普及期において、城を火災から守る目的でも用いられました。この特徴的な白さは、城壁に漆喰を塗ることによって得られ、強力な日差しの下でも眩しい白さを保ち続けます。

漆喰には、防火だけでなく、湿気を調節する機能もあるため、城内の木材を腐食から守る役割も担っています。このように、姫路城の白漆喰の城壁は、美しさだけでなく、機能性においても非常に高い評価を受けています。

石落としと狭間

姫路城には敵からの攻撃を防ぐための数多くの仕掛けがありますが、中でも「石落とし」と「狭間」は特に注目されるべきものです。

これらの防御設備は、城の防衛戦略の緻密さを物語っています。「石落とし」は、敵が城壁を登ろうとした際に、上から石を落として攻撃するための設備で、城内の複数の場所に設置されています。

一方、「狭間」とは、城壁や櫓に設けられた細長い開口部で、ここから矢や鉄砲で外敵を攻撃するために用いられました。これらの機能により、姫路城は多くの戦いを乗り越えてきました。現在でも、これらの仕掛けは姫路城の見学で大きな興味を引くポイントの一つです。

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